何度も同じことを説明しないで済むように (2)

…(1)からの続き

ここまで説明をすると、今度は賛成派からこういう反論がくる。
「文化なんて選択の自由の前には意味がない、価値がない、あるいは犠牲にしても構わない」と。
またまた考えてみてほしい。本当にそうなのか。
抽象的でよくわからない、という方は、別の問いから考えてみてほしい。
たとえば「日本における公用語が日本語のみ、という点について、『文化』という観点を抜きにして合理的正当性を主張できるか」という問いである。
別姓選択制賛成派の人たちは「現実に現行の婚氏統一で不便、不利益を受ける人がいる、だから選択の自由を認めるべき」という。
では「日本語が話せない人が現実にいて不利益を受けている、だから公用語はすべての言語を採用するべき」といえるか。
「いやいや、すべての言語となると数が多いから現実的に無理だ」というかもしれない。
では英語、スペイン語、中国語、韓国語など、要望の多い言語だけに絞ればどうだろうか。
実際に複数の言語を公用語としている国は世界に多数存在する。
これは別姓選択制賛成派が「別姓選択できる国が世界では多い」というのに対応するだろう。
さて、なぜさまざまな言語の中で「日本語」だけが公用語となっているのか、文化と無関係に説明できるだろうか。
「日本語を母語とする人が圧倒的多数だから」だろうか。もちろん、それも正しいといえる。
が、それは「日本では文化的に日本語が話されてきた」ということを別の言い方に変えただけであり、文化と無関係の説明ではないのである。
日本における日本語の文化的背景を抜きにして、日本語が他の言語とは区別して公用語とされる理由は説明できないのである。

ではここで改めて元の問いに戻ってみよう。
「文化というのは選択の自由に比べれば法律制度の根拠としては弱い」といえるだろうか。
もうわかると思うが、答えはNoなのである。
法律制度は文化をできるだけ尊重し、特に重要な理由がない場合はそれに急激な変化を加えないのが正しいあり方なのである。
もちろん、たとえば重大な人権侵害をともなう場合、差別や不平等に基づくあるいは助長するものである場合など、ある程度法律の強制によって文化に介入すべき場合もないわけではない。
しかし少なくとも別姓選択制に関する議論において、それほど重大な(文化に強制介入することを許すほどの)正当性は見出すことができない。
また、文化よりも個人の自由が常に優先する、というのが正しいとするなら、文化財保護法のように、文化的価値の保護のために人の自由を制限する法律は認められなくなってしまうが、現実的にそういうことはあり得ない。
少なくとも、「選択の自由VS強制」だけで終わる話ではないことは明らかで、賛成派は文化に介入するだけの正当性があるかどうかという議論から逃げることはできないはずである。
この論点を避けてひたすら「自由」だけを根拠にするのは議論態度として不誠実である。

この次に賛成派から来る反論はこうである。
「そもそも『夫婦同姓』は文化なのか、伝統といえるのか?昔は別姓が伝統だったはず。北条政子は…」
このへんではもうすでに元の議論との間で整合性が破綻してきていて、文化や伝統を重視したいのか、そんなものはどうでもいいから選択の自由をといっていたのではないのか、ということになるが、それはとりあえず措いておく。
これについては実はすでに軽く触れているのであるが、まず問いの立て方が不適切なのである。
「夫婦が同姓」と「夫婦が別姓」というのを「文化」として論じているわけではないし、それは問題の本質ではない。
ここが一番わかりにくく、今までいろんな人に説明してきたがなかなか理解されないところでもある。
これは日本における人名の種類とそれが何の名前(何を指す名前)かという文化の話なのである。
そしてすでに述べたように、かつて使われてきた氏という父系名が使われなくなり、かわりに苗字という家名が使われるようになった、というのが正しい。
したがって苗字に関しては発生した当初から家名としての意味と役割を持ち、それは変化することなく受け継がれてきたのである。
仮に歴史的経緯は措いておいたとしても、現状で苗字が家名である事実は先に述べたように変わっていないし、変える必然性もないのである。

以上のように、賛成派の主張は概ね、偏った認識や認識の不足から来る、問題の捉え方の誤りからきているものが多い。
おそらく多くの人はマスコミや政府のキャンペーンに乗った報道や情報に触れることで、上記の誤りを刷り込まれており、それに疑問を感じなくなっている可能性が高い。
繰り返しになるが、私達はさまざまな情報に接するとき、表面的直感的に受け入れたり拒絶するのではなく、きちんと細部を自分で検証し、「ほんとうにそうなのだろうか」という批判精神を持って扱うことが大事なのである。

この記事へのコメント

  • 阪根利広

    ○ねって
    書かれたブログは
    これですか
    2022年12月04日 23:32